4月30日は「Ngày Giải phóng miền Nam(南部解放記念日)」ですが、今年はベトナム戦争終結50周年を迎える特別な年です。
ホーチミン市では盛大な式典やパレードが予定され、ベトナム全土がお祝いムードに包まれています。
ただ、そんなお祝いムードの一方で、ふと、この日が全てのベトナム人にとって同じ意味を持つわけではない、ということを考えさせられることがあります。
近藤紘一氏の著作、「サイゴンから来た妻と娘」に、こんな一節があります。
『サイゴン陥落後、彼もシクロの運転手として一家6人を養った。シクロにはよく勝利者の北解放軍の兵士たちが乗った。彼らからカネを受け取るたびに、ロク元兵卒は、「心臓が震えた。いつもその場でそいつを殺してやりたかった」そうだ。』
この強烈な言葉を読むと、この「解放」という出来事が、ある人々(特に旧南ベトナム政府関係者や軍関係者)にとっては深い屈辱と悲しみを伴うものだったのだという現実を突きつけられます。
もちろん、日本人の私がこの国の歴史や出来事について、どうこう言う立場にはありませんし、ベトナムの皆さんがこの日を大切に思い、盛大にお祝いされることを心から尊重しています。
ただ、街の喧騒の片隅で、もしかしたら今も、この日に複雑な思いを抱えている人もいるのかもしれない…。
そう思うと、一面的にお祝いするだけではなく、もう少しだけ、その背景にある様々な感情に想像力を働かせていたいな、と感じます。
この記念日を迎えるにあたり、この街で生きる一人として、喜びとともに、静かに歴史の多様な側面にも思いを馳せていたい…そんな風に思う、石川です。